FAQ

今後の具体的な活動は?

 

貝澤耕一・共同代表

正直いって、どうやっていけばいいか、分かりません。ただ、私は、隣にいる萱野さんのお父さんと一緒に、二風谷ダム裁判を闘ってきました。あの裁判の中で思ったのは、日本は裁判の中で訴えれば何とかなるんだなということ。だから今回も、私はこれが裁判になればいいなと思っています。裁判に持ち込めば、こっちの意見も発表できるし、おまけにこれから集める署名、何万人かの署名を裁判所に提出することもできる。ですから私は、日本はまるっきりヘンな国ではない、と思っています。多数者の意見は通ると思います。日本は多数者だからといって勝手なことをずっとやってきたんですから。アイヌを支援する多数者がいれば、要求が通ると思います。それから最初に言ったように、(問題は)シャケだけではないよ、と。アイヌ文化を守るための自然の幸をすべて利用させてくれ、ということです。

 

 

署名活動は、街頭に立たれるとか、ネットで集めるとか、いつから始めるとか、集まったらどこに提出するとか、そのへんを教えていただけますか。

 

貝澤耕一・共同代表

さっぽろ自由学校「遊」でまとめてくれることを期待しています。

 

事務局(小泉雅弘=さっぽろ自由学校「遊」)

署名なんですけれども、ふたつ考えておりまして、ひとつは紙の署名です。きょう(3月27日)、この場がスタートだと思っております。それから、用紙にもQRコードが付いていますが、すでに「チェンジ・オルグ」というネット署名も開設していまして、すでに発車しています。どこに持っていくかというと、ここに書いてあるように、内閣総理大臣ならびに北海道知事に対する要請として、この署名を使いたいと思います。もちろん、政府あてと北海道あてでは、要請項目は変わってくるかも知れませんけれども、大枠としては、このサケの権利をアイヌ民族に(保障せよ)ということで、「これだけの(人数が)賛同しているよ」ということを示したいなと思っています。

 

 

いつごろまでに、どれくらい、という目標はありますか。

 

貝澤耕一・共同代表

今年いっぱいくらいか?

 

事務局

きちんとした形では決めていませんけれど、第一次集約とか日程を決めて集めていく形にしたほうが良いかな、とは個人的には思っています。

 

貝澤耕一・共同代表

共同代表も増えるかも知れないし、呼びかけ人も……

 

事務局

はい、とりあえずきょう(3月27日)までの分を署名用紙の裏側に、呼びかけ賛同人と呼びかけ賛同団体を印刷してありますが、今後も呼びかけていきます。

 

貝澤耕一・共同代表

賛同者を募って、できればカンパもお願いしたいです。

 

 

 

後のほうの期限は?

 

貝澤耕一・共同代表

ないです。急いてはことをし損じる。いまは(新型コロナウィルス感染症対策などで)政府がガタガタしているし。

 

 

(紋別アイヌ協会の畠山敏会長らが)先日書類送検(された)ということになりましたが、この間の警察や道の対応について、改めて、どういうふうにご覧になっていたのか、詳しくお聞かせいただけませんか。

 

貝澤耕一・共同代表

(紋別アイヌ協会会長らがモベツ川でサケを)採捕した当日は、振興局から二人来て、ただ「やめてください」「やめてください」と騒いでいただけで(中止を強制はしなかった)。その後、(紋別署員が)網を証拠品として回収していった。ようするに行政側も、「あまり強く出たくない」という雰囲気はあるんだけど、「これは何とかしなきゃ、後に続く者が出たら困る」という対応ですよね。後からそういうアイヌが出たら困るから。行政側もまあ、アイヌの主張をある程度は理解しているのかな、と思います。けど、ただ内水面漁業調整規則、「これに従って私たちはやってるんだ」「あんたたちはこれに従いなさい」と言うだけであって、これは以前と何にも変わりません。「そういう現行法があるんだから、あんたたちは従いなさい」という。じゃあその法律ってだれが作ったんだ? ということになりますんで。第一、この内水面漁業調整規則、あるいはいろいろな法を作った時に、アイヌの承諾を得てるか、ちゅうこと。アイヌの意見をいっさい採らないで、勝手に多数者が作った法律に、いま私たち従わさせられている。それを、民主主義の日本であれば、裁判で闘うしかないのかな、ということを私は考えています。

 

萱野志朗・共同代表

私も新聞報道でしか承知していないんですけども、いま警察から検察庁に書類送検済みですから、検察庁が起訴にするのか不起訴にするのかという状況だと思うんですね。私としては、畠山さんは高齢なので、不起訴にしてほしいと、個人的には思います。不起訴になれば当然、裁判にならないんですけど、耕一さんがおっしゃったようにね、もし起訴されれば裁判になりますから、そこで新たなやりとりが起こってくる。あと、民事裁判とか行政訴訟と違って、これは刑事裁判ですからね。被告人にとって非常に精神的に圧力がかかるので、われわれが思い知ることのない重圧がかかってくると思いますので、非常に、畠山さんの健康を心配しています。実際、病気にもなっているということで。もしかすると心労のせいかも知れない。そのへんはちょっと検察庁に考えてほしいなと思います。

 

宇梶静江・共同代表

畠山さんのなさったことは、私はとてもうれしく思いましたね。今まで、あそこまで踏み切るということはなかなか困難で、できなかった。それを彼は……。彼はこう言いました。「おれ、息の根のあるうちに、何か子孫のために、アイヌの仕事を残していきたい。それには、おれのやれることは、漁をすることだ。漁を教えていきたい。捕り方を教えていきたい」。それはカムイに感謝して、カムイに捧げることももとよりだけれども、アイヌが食べてきた、萱野先生のお父さまがおっしゃった、シャケというものは頭の先から尾っぽの先まで、捨てるところがない。そういう、大切に食べ物を敬ってきた、その先祖を、畠山さんは「サケを捕って、漁業権を確立したい、そいで子孫に残したい」と。そういう勇気を持ってなさったことです。みなさんも、かなりの方がご存知だと思うけど、畠山さんは電話でね、一所懸命訴えてきました。私はその勇気にすごく感動しました。それで、娘と一緒に去年の9月でしたか(紋別でのウコイタクやカムイチェプノミに)行ってまいりましたけれど。ほんとに、舟に乗ってですね、漁師というか、男の姿、アイヌの男の姿を見ましたね。それはなかなかできないことです、アイヌには。漁師だったら船に乗ってイカを捕ったりシャケを捕ったり、人に使われて人の船に乗って、うちの親たちも仕事をしてきました。イカ漁だとかシャケ漁だとかに出ていましたけど、自らの舟で自らの意思で自らの民族のことでできたかっていったら、できなかった。それをね、畠山さんはなさった。それはね、汲み取っていただきたい。この署名、みなさん、先生方もおっしゃったけど、これはね、とても有効なやり方かなと思って。私もできるかぎり知人とかいろんなとこに訴えて。私たちの仕事、適職を私たちが持つことが、みなさんとどんなに良い興隆になることか、「語り合っていきませんか」という呼びかけをしたいと思っています。どうか汲み取っていただいてですね、私たちの訴えをお聞き届けいただきたいと思っております。

 

 

浦幌アイヌ協会が、早ければ4月にも札幌地裁に対して、アイヌ民族のサケ漁が、日本の法律に影響を受けないことの確認を求めて、裁判を起こすんですけれども、この裁判の動きについてどのように見られていますか。

 

貝澤耕一・共同代表

目的は一緒なんで。ただ、まだ話し合ってもいないし、どうやればいいかは、まあ同じ目的に向かって、両方で行政を責めるのもいいのかなと思います。これは弁護士とも相談しないとならないですけど、何が一番よい方法かちゅうのはちょっと、分かりません。先ほど萱野さんは「不起訴になったらいいな」と言ってるけれど、不起訴になると、私たちの意見を述べる場所、ないんですよね。ですから、まあ、畠山さんが無理であれば奥さんにでも代理人になってもらって、私は裁判に持ち込みたいなと思っています。

 

萱野志朗・共同代表

浦幌(アイヌ協会会長)の差間(正樹)さんと個人的に面識はあるんですけれど、直接この話をしていませんので、裁判に訴えるという新聞記事の情報しか分かりません。先ほど貝澤耕一さんがおっしゃった通り、どういうふうに連携できるかっていうのは今後の課題だと考えています。

 

宇梶静江・共同代表

畠山さんがおっしゃっていたことを伝達っていうか。「あのなあ」って。「刺繍だとか踊りだとか、そういうことでは行政はオカネ出してるよね」って。「だけど肝心の、生活するための(生業に)理解がないよね」って。そりゃあそうなんです。刺繍はもとより、歌ったり踊ったりするのは、私たちは良い仕事をして、その成果をカムイとともに喜んでですね、そいでお祭りをする。それでひとつになるというのがアイヌの精神性だと思うんですね。それが刺繍だとか歌だとか踊ったり……。「そういう脇のことではオカネ出して、(確信にある生業復興に冷淡なのは)ちょっとおかしいんでないかい、かあさん?」て。私のこと「かあさん、かあさん」ちゅうんですけど。いつもそうおっしゃってました。私もそう思います。私たちに仕事があって、それで感謝して。村単位ですから、たとえばクマを獲ったら、子どもの時、クマを獲ったうちにみんなでコメとかいろいろ持ち寄って、団子作るんですね。団子を作って、クマの肉汁をみんなで、何十人集まっても均等に、私なんか子どもだったけど、大人と同じお椀にクマ汁、団子汁をごっそうになった。そういうふうにしてアイヌは生きてきたのに、歌や踊りはやらしても、肝心の中心にある仕事をよこさないとはどういうことだって。自分たちの生きるためにしなきゃならない(のが生業)、それに付随したものが文化で。文化だけを分けてはおかしいじゃないか、って。畠山さんの言う通りだって、私もそう思っていますのでね、こう訴えたいと思います。

 

事務局

ちょっと補足しておきますと、今回の呼びかけにも、浦幌アイヌ協会が呼びかけ賛同人に加わっていただいていますし、「全面的に協力する」というメッセージもいただいています。差間さんと畠山さんも、もともと関わりは強いので、お互いに応援しあう関係になるのではないかと思います。

 

貝澤耕一・共同代表

日本の政府は、北海道は植民地としか考えていない。ようするに金儲けの場所なんです。なんで(先住民族の権利を無視して)漁業規制をやっているかって言ったら、海の漁師を守るためなんです。本当にアイヌの文化を守るつもりなら、そんなことするはずない。おまけに、山の木を切っても、山菜を採っても、すべて罪になります。ようするに日本政府にとって北海道は植民地であって、そこにいるのは「人」じゃない。だからあえて「アイヌ=ひと」ちゅうことを私は言いたいんですよね。「人」と見てない、日本政府はアイヌを。

 

 

今回、サケ(の権利回復)がメインというお話がありましたが、アイヌをめぐる先住民の権利という意味では、たとえば(大学などが研究目的で収集したままの)遺骨(返還)の問題とかもあると思います。広く(アイヌの権利保障は)どういうふうにあるべきか、大きく語っていただけますか。

 

貝澤耕一・共同代表

いちばん簡単なのは、畠山さんがやったシャケをきっかけに、日本が賛成している、国連の定める先住民の権利宣言に沿った施策をとりなさい、ちゅうこと。あれは国連で採択されて、日本政府は賛成しているんですからね。私のダム裁判の時、日本政府が何と言ったかというと、「国際基準で批准しているものは、目安であって、従う必要はない」。国のお役人が平気でそんなことを言うんですよね。国連で賛成していても、日本政府は「従う必要がない」と勘違いしているかも知れない。賛成した以上はそれに賛同して、その通りやらなきゃいけないのに、日本政府のお役人はそんな考えを持ってる。恥ずかしい国です。

 

宇梶静江・共同代表

漁業権、まあ権利ですね、仕事の。それから人権ですね。これを確立しないと、もう骨抜きにされてそのままなんです。これを取り戻すのには、アイヌひとりひとりの自覚ってものがね、とても必要だと思います。ここで、受け売りかも知れないけども、ていねいに本を書いている日本人がいるんですね。北海道新聞の小坂(洋右)さんていう人です。その人の本は、私の教科書です。なぜなら、(私は)明治生まれの人の子どもですからね。カムイノミ、しょっちゅう、うちでやっていました。おじいさん、おばあさんたちは思い出に浸りながらとか、アイヌは長生きだとか、語っていました。でも、しっかり聞くという時間もないし、自分の中にもそういう意識はない。「なんで(アイヌは)差別されるか」って、言うだけの苦しさできたんですけども。あの方(小坂氏)は、(新聞記者になる前は)白老の(アイヌ民族博物館)学芸員をなさっていた。(その当時は)おじいさんやおばあさんが、入れ墨したおばあさんがたがいらしたと思うんですね。私は、親がカムイノミしているおじいさんやおばあさんから、骨組みだけは聞いていても、中を丁寧に説明することはできなかったこと、(それを同書は)説明してあるんですね。私、87になりましたけれど、「和人の書いたものなんか」って、投げていた、自分の中で、長いこと。「どうせ、ばば(古老)んとこ行って、住み込んで、それで大学教授になったり学者になったんだべ」ってね、そういう人たちを軽蔑してました。でもね、やっぱり、骨を折ってね、アイヌに言葉を、エールを送ってくれている人たちがいるっていうこと、やっぱり受け止めなければ、自分たち、損だと。せっかく教えてくれてんのに、受け止めなければ。「シャモなんてどうせ、アイヌを利用してんだべ。それで食ってるんだべ」って、それだけじゃね、理解し合えないんじゃないか。そう思えましたね。それで(同書は)教科書みたいな。本当に丁寧に、ストーンサークルのこととかね、調べてんですよね。調べたものを教えてくれて。ストーンサークルなんか知らなかった、私。北海道でも全部あるんだって。(青森県青森市)三内丸山のところなんか、アイヌは宇宙との交信のためにああいうものを。カムイというものを敬って、人間だけじゃなくて、どうして自分たちが存在しているのかってことを敬って、慎んで生きてきた人たちだってことを丁寧に書いてくれてんですね。踏みにじられてきた何百年の(歴史をもつ)私たちですが、そういう素晴らしい生き方をしてる、概念を持って、考えを持ってきたっていうことをね、改めて教えられた。カムチャツカのどこだかで島ごとアイヌが殺された。植民地ですか、根こそぎ支配して、根こそぎ獲って、いらないものをブチ殺すと。そういう考えの下に成り立ってきたこの経済とか文化だったとしたら、本当にお粗末だなと私は思っています。もっと丁寧に生きることを私たちは考えなきゃいけないし、お訴えしなきゃいけないと、そう思ってます。

 

 

貝澤さんは冒頭、今回の活動に当たって、アイヌ民族の方々が先頭に立って進めていきたいとお話でした。みなさんが先頭に立つことの意味と、結果としてどんなことを期待していますか。

 

貝澤耕一・共同代表

いままで、アイヌが団結して闘ったちゅうことはあまりないんですね。確かに、北海道アイヌ協会ってありますよね。でも、理解ある人が見ると、あのアイヌ協会は行政寄りだっちゅうのははっきり分かると思います。それじゃ私たち満足しないんです。「アイヌはこういうことを要求しているんだ」「アイヌもみんなまとまれば、これだけの力があるんだ」ということを私は見せたい。そのために、まあアイヌ以外の人の協力も必要です。でも、「アイヌがまとまったらこれだけできるよ」ちゅうことを私は見せたいと思います。

 

萱野志朗・共同代表

いま共同代表の貝澤耕一さん、おっしゃってましたけども、私はこれをひとつのきっかけとして、アイヌの全体の権利を獲得する道しるべのひとつ、一里塚ちゅうかな、始め、スタートだと思うんです。このシャケの権利っていうのは非常に重要な問題だな、と私も実は思っているんです。ですからこれをきっかけとして、世界の先住民族権利宣言に謳われているような権利を、ホントはすべて獲得したいなと思っているんです。

 

宇梶静江・共同代表

私、曾孫が4人いるんですよ。娘と息子と二人、子どもいて。孫が4人で曾孫が4人で。今ね、時代が全然変わっちゃってね、困ってるんです。みんな集まるとね、こういうもの(スマートフォン)を持ってね、下ばかり見ているんです。対話できないです。対話がない社会にね、私がアイヌの一人でね、「アイヌ、アイヌ」と言ったって、通じないわけ。この世の中、一体どうなってるんだべと。それには、もうちょっと魅力ある社会をつくらなきゃ。それはアイヌだけの考えではなくて、全体、おとな全体の問題じゃないかと、そういう理解をし合えることとか考えて。もう天国から呼ばれてるんだけど、1年かけて、夏だけウバユリの生えている情景だとか、根っ子だとか。子どもの時、おつけの鍋を(かまどの火に)かけてるから、母ちゃんが。「ヤチブキ取ってこい」と言って、ハーイって、5分もいけばヤチブキの生えているとこへ行って取ってきて、川で洗って母ちゃんに渡すと、手でちぎって、トッピングして、おつけに野菜を入れたもんだ。そういうのをね、丁寧に生きるっていうか。自然を丁寧に教えるっちゅうかね。そういうことを今、アイヌのお母さんとかお父さんとか、丁寧にヤイライケして。話が飛ぶからゴメンね。内地から来た人で、重病人が出きるわけ。そすとね、百姓をやっていたおばあさんがね、こんなにして、這いずるようにして畑(仕事)をやってるん。そしたら母ちゃんがね、「あの人はね」って。アイヌの教えた薬草、野草、毒なのよ、その毒をちょびっとずつね、毎日飲んだら、骨のぐにゃっとなるのが止まったんだって。そして、働いてんだよって、母ちゃん、教えてくれて。それで、キノコなんかも、あれはね、身体の中にできたできものを治すんだよって。それは、癌だべさ、身体の中にできるできものって。そういう、医者にかかって、もう何でも医者に任せればいいっていうより、自分で自分を治すっていう精神性を持たないと。何でもこれ(スマートフォン)で、全部こんなもので解決、世界のことを全部分かるんだから、これで。だけど何かこぼしてるものないかな、と。子どもたちに丁寧に教えていくということ、やっぱりアイヌのお母さんお父さんとの協力で、ヤチブキの根っ子だとか、どういうとこにヤチブキが生えるだとか。植物ってのはすごく敏感で、土地を選ぶわけですね。そういうことを教えていかなければ、なんかもう、良い学校行って、良い会社に入って、みんな頭おかしくなってる。そんな世の中、作ってるわけよ。減らず口いって、何か言えっちゅうから減らず口言ってます(笑)。

 

(2020年3月27日、札幌における記者会見での質疑応答から)