共同代表 貝澤耕一
みなさん、忙しい中ごくろうさまです。きょう配ったこの文章(声明文)ちゅうのは、私がほとんど書いて、ある程度手直しされていますけれども、なぜこれを始めたかというと、まずこの、畠山さんが去年の9月、シャケ漁をした時、わたしも(現地に)行っていたんですね。そして、過去2年はいちおう、申請を出して捕ったと。けれど、「なんで、もともと俺たちのくになのに、いちいち許可を取ってシャケを捕らなければならないのか」という思いで、畠山さんは許可なしにシャケを捕りました。60匹くらい。その行動に私は感激したんです。つまり、もともとこの北海道ちゅうのはわたしたちのくにです。わたしたちのくにに勝手に入ってきて、そして多数だからと言って勝手に法律を作って、わたしたちに押しつけた。これをなんとか覆さにゃいかん。おまけに、日本は国連で、「先住民族に関する権利宣言」に賛成しています。だけどそれに一切、従ってないですよね。賛成してるなら従うべきなのに、実際、従っていない。おまけに、このシャケを捕ったことに対して、いまの知事は「現行法を変えるつもりはない」、そういうことをコメントしています。
いま北海道博物館となっている北海道開拓記念館。この館が開館した時に、アイヌの展示コーナーに何て書いてあったか。大きな垂れ幕に「無人の大地を切り拓いて」ということが堂々と書かれていたんですね。つまり、北海道には人がいなかった、と。その考えがいまも続いているということですね。ですから、無理やり、自分たちが作った法律を押しつける。
昔のアイヌの人たちは、いまのように捕り過ぎもしません。自分たちが生きていくのに必要なだけを捕って生活していた。それを利益のために、入ってきた多数者が勝手に決めごとをして、アイヌが生活できないようにしてしまった。わたしはそれは非常に疑問に思うんですね。
昔のアイヌたちは言っていました。「おまえら、勝手に俺たちの土地を使っているんなら、小作料を払え」と。でも日本政府は小作料を払ってません。逆にアイヌを締めつけて、アイヌたちの権利をがんじがらめにしちゃっている。それで、この畠山さんのこの勇気ある行動に対して、アイヌとして何かできないか、と。アイヌだってこれだけ団結力があるんだということを見せたいと思って、この活動を始めました。ただ、起訴でもされない限り、闘いにならないんですね。裁判になれば、その署名簿を持って裁判所に行って、そしてアイヌの権利を訴える、そういう方法に持っていきたくて。
この文というのは、じつは今年の初めにできて、もう、畠山さんに「こういうことをやりたいんだけど」と見せてるんですね。でまあ、「いいんじゃないか」ちゅうから、それでやりたかったんですけど、残念ながら事務局がいないんですね。そこへ飛び込んできたのがフリーライターのヒラタさん。そして「遊」のコイズミさん。幸いに「事務局やるよ」と飛び込んできたんで、それでようやくスタートできたと。
これはアイヌが中心になってアイヌの権利を求める会、とわたしは思いたいです。つまり、今までもアイヌのこと、いろいろありましたけど、ほとんどがアイヌが中心じゃないんですね。ですから今回はアイヌが中心で進めたいな、とわたしはそう思って、この会を立ち上げました。
それともうひとつ、これシャケを基本にしていますが、シャケだけではありません。アイヌの文化を伝承するためにはすべての漁/猟ですね。川の漁、海の漁。それから山菜、木を採ること。それらすべて、私たちの文化伝承に必要なので、それらすべての権利を求めていきたいというのが本音です。そういうことで始めましたんで、協力と、今後のことを見守っていただきたいと思います。
(2020年3月27日、札幌での記者会見)
共同代表 萱野志朗
みなさん、こんにちは。萱野茂二風谷アイヌ資料館の館長を務めております、萱野志朗と申します。わたくしもですね、いま貝澤耕一さんがおっしゃったことに賛同いたしまして、3月15日に1回目の会議がありました。そのときに、畠山さんのことを中心に考えて、権利回復の手伝いをしようと、そういう考えに賛同して、わたしも共同代表の一人として加わることにしました。
わたしもじつは、このシャケの捕獲ということについては、昔から興味があったんですね。なぜかというと、私の父(故・萱野茂氏)が書いた本、『アイヌの碑』という本があります。もともとは単行本だったやつが、朝日文庫として文庫本になっています。この本の中にですね、「罪人にされた父」、まあザイニンと読むのか、ツミビトか、そういう項目があるんです。これ、どういうことかというと、うちの父が小学校に入る前に、(父親が)家族のため、または近所の人に食べさせるためにシャケを捕ってきて配っていた、と。ところがある時、平取から巡査がやってきて、まあ事情があって、うちの父の父親、わたしの父方のじいちゃんは貝澤清太郎というんですね。その貝澤清太郎に対して、巡査が「清太郎、行くか?」と言ったと。この本に書かれています。そして「ひらぐものようにひれ伏して、『はい、行きます』」と言ったと。目から涙をぽたぽたと流しながら、巡査に引き連れて行かれた。その様子を見た貝澤清太郎の母親、うちの父からみるとおばあさん、そのおばあさんがこう言ったというんです。日本語のところだけ読みますからね。「和人が作ったものがシャケであるまいし、わたしの息子がそれを少し捕って神々に食べさせ、それと合わせて子どもたちに食べさせていたのに、それによって罰を与えられるとは何ごとだ? 悪い和人がたくさん捕ったことにはバチが当たらないとはまったく不可解だ」と。これはテカッテというおばあさんで、実は日本語が話せない。ですから原文はアイヌ語です。アイヌ語でそう言ったというのは、うちの父がちゃんとアイヌ語を本の中に書いているんですけども、アイヌ語は省略させていただきますが、日本語の話せない、日本語の読めない、貝澤テカッテという、萱野茂のおばあさんは、本質を突いていると思うんです。まさにこれが、アイヌの主張すべきことが書かれているわけです。わたしの父が1926年6月生まれ、亡くなったのは2006年です。6歳くらいというと1931年ですね。昭和6年くらいの話ですね。その時すでに、法律ではアイヌはシャケ漁を禁止されているということです。
わたしがひとつだけ言いたいのはですね、水産資源保護法だとか、北海道内水面漁業調整規則とか、こういうものは人間が作ったものです。こういう人間が作ったものというのは、実際に合わなくなったり、不都合になったら、改正すればいいんですよ。わたしはそう思います。ですから、この北海道内水面漁業調整規則がアイヌにとって不都合であるんであれば、それはアイヌにとって一番よいように改正すべきだと思います。わたしはそれは、この会が目指すひとつの目標だと思いますね。「アイヌの権利をめざす会」ですから、アイヌというのはアイヌ民族だけでなく、じつはHuman being、人類、人間という意味もあるんで、まあ、人間の権利を目指すというふうにもいえると思いますけれど。これはすごい大切なことだなと思いまして、わたしもこの共同代表になったきっかけというか、考えの一端を申し述べさせていただいて、終わりといたします。ありがとうございました。
(2020年3月27日、札幌での記者会見)
共同代表 宇梶静江
わたくし、共同代表に選ばれて喜んでいるんです。どうしてかっていったら、アイヌの、アイヌ自身に適職がないんですね。適職があったのは全部、剥奪されてしまって。アイヌの男の人たちのすばらしいエネルギーが、発揮されないような世の中にされてるってことを、わたしは感じました。なぜなら、わたしの親は、明治30年代の生まれの人です。学力、日本の文字を用いた学力はないけども、自然環境から学んだ、自然のカムイから学んだもので、十分に人間らしく生きてきました。エネルギーも貯えてきました。そのエネルギーを、和人という、文字を持って印鑑を持ってきて、勝手に法律、作った人たちが、わたしたちの適職をみんな剥奪してしまいました。いきいきとした男の人のエネルギー、漁をするエネルギー。女の人が山菜を採って、カムイに祈るエネルギー。お祭りをするエネルギー。全部取られてしまった。これでわたしたちは、適職を持たない、祈ることもできない、生活もできない。自分たちの文化の衰退していくのを嘆いてきました。
でも、ここでですね、この男の人がたがね、立ち上がってくれたこと、先祖がどんなにエールを送って喜んでいるか。「おれたちはなあ」って。「和人のおまえさんたちと違うんだ。あんたがたはなあ、大学まで行って、企業に合った人たちだべ」って。「それになんだかんだって、人、使って、企業を作ってですね、この世の中を栄えさせてるかもしれないけども、わたしたちアイヌの、すばらしいエネルギーを剥奪して、手足をもいでしまったべ」って。先祖は怒ってます。
わたしはね、そう思った時に、アイヌよ、って。私たちのエネルギー、語るエネルギーを持ってるじゃないか、って。この、先祖が残してくれたわずかな言葉でも携えて、わたしたちの仕事を持とうよって。先祖たちが汚さないで大切にしてきたこの大地を、わたしたちが蘇らせよう。山に行ってみれよ、大きい木は全部採られてしまって、山に良い水も何も作れないでいるじゃないですか。水っていうものは、大きな木の根っ子から流れてきてですね、平野を通って海にいくんだべさ。海のものたち、泣いているじゃない? みんなちっちゃこくなっちゃって、衰退してるものもいるべし。そういうことをさしてるのはね、こういうものを作って文字を持ったシャモの人たちがね、こういう枯渇した世の中を作ってるんだって、反省してもらいたいと思うんです。
わたしらはね、先祖に恩返しするってことは、空気をきれいにする。川をきれいにする、水をきれいにする。そして、わたしらがカムイに恩返しする。それしかできないんだべって、わたしは思うんです。カムイに恩返しするっちゅうことは、カムイはすべて持っている。もうどんなものでも持っている。そのものに対して、わたしたちは物質でお返しすることはできません。せめてカムイのつくったそのものを大事にして、恩恵を受けて、そして感謝して、それがわたしたちの語られてきたアイヌの民族だと思います。このアイヌの心をね、輝かせないで……。
いま日本中どころか世界中にヘンな菌が走り回って、みんなビクビクしてるべさ? これ、だれ作ったと思う? アイヌが作ったわけではない。自然が作ったわけではない。それはみんなで反省しなければいけないんじゃないかとわたしは思うの。それをわたしは言いたい。
アイヌに、アイヌのできる仕事をよみがえらせれ、と。アイヌ自身がひとつにならないと、語り合わないと、先祖ののこしてくれたものは生き返らないよ。みんなバラバラになって、団結しようと思ったらだれかに足、引っぱられて。だれかがいいことしようと思うと、バラバラにされてきたんだ。何十年、何百年だ。それに負けるなって。
わたしたちには語ることができる。カムイが残してくれたこの大地があるじゃない。これ以上のものを、わたしたちは、お宝はないんだ。このお宝を粗末に踏みにじられて、汚くされて、しかも利用されて、しかも先祖の魂を汚されて、こんなことでいいのかって、わたしは思ってるんです。
そしたらね、こないだ、札幌の札幌大学っていうところに行かせてもらった。アイヌの青年たちがいきいきとして歌ったり踊ったりしている。これなんだ、と。だれがこれやってくれたってうれしい。だれでもいい。アイヌの精神性を蘇らせて、空気を蘇らせて、きれいなとこに子どもたちを迎えよう。そうして渡そう、と。そんなふうに思っています、このばあちゃんは。そう思って、このばあちゃん、小言を言いに来たわけじゃない。わたしはそう願いたくて来ました。よくここに呼んでくれました。本当にありがたい。言わせてもらいましたけども、アイヌはひとつになりましょう。なんだかんだって、悪口に負けないで、なんだかんだっていうことに負けないで、ひとつになって、いいところをお互いに育て合って。
きょうもね、(北海道)博物館に行ったんだべさ。(収集したアイヌの)骨を大地に返して、魂を成就させてくれって言ったっけね、館長さんがえばりくさって、私たちを言葉で追い返そうとしました。でもね、わたし、黙って聞いてて、ああ、シャモってものはこんなことで私たちを踏みにじってきたんだと思って。「あんた、館長だべ?」って。「何も言い訳しないで、ここはわたしたちの魂を受け取れ」っていうふうに言わせてもらってきましたけども。
和人のみなさんよ、行政のみなさん、上に立つ人たちよ。どうか人間らしく考えて、きれいな血を流して、きれいな空気を作ってください。きれいな水を作ってください。わたしは、それにはアイヌは喜んで参加さしてもらいます。どうかよろしくお願いします。すいません、大きな声でしゃべらせてもらって。張り切って来たもんですから。
(2020年3月27日、札幌での記者会見)